今日も普通の日常

大学生のモクソンが起こったことを綴ったり、思ったこと、読んだ本や映画、ゲームなどの感想を書いたりするブログ。つまるところ自分の記録。

「映画」を題材にしたマンガ私的5選!

ここ最近「映画」を題材にしたマンガが増えてる気がするので、個人的にお気に入りの「映画」を題材にしたマンガを5冊ほど紹介するという趣旨の記事。「映画」好き、「マンガ」好きは必読!


あどりぶシネ倶楽部

大学の8ミリ映画の同好会を舞台に同好会の学生達が繰り広げる群集劇で9つの章からなる全一巻の作品。80年代という自分がまだ生まれてない時期に発売したマンガにも関わらず今なお色褪せない面白さ。彼らの映画作成とそれに関わってくる人達について描いている作品であるが、出て来る登場人物のほとんどの日常が夢に追求することで充実し、キラキラしており本当に羨ましい。8ミリ映画を作りたくなってくる。
非常に魅力的な登場人物達の中でも、特に男でありながら、見た目は女性の道明が個人的なイチオシ。


f:id:hkefka385:20170213130708p:plain
第一話のこのシーンとか良いよね


・私と彼女のお泊まり映画

私と彼女のお泊まり映画 1 (BUNCH COMICS)

私と彼女のお泊まり映画 1 (BUNCH COMICS)

とっても可愛い女子大生2人が家に泊まって映画を鑑賞するだけの作品。微百合あり。
何と言っても、「あやく、結婚しろよ」としか言えなくなるような、見てて心地の良い2人の関係性が最高。特にお気に入りの回は第13回の2人で電話しながら映画を見て過ごす年末回が個人的ベスト。
毎話、映画作品を一つ取り上げて紹介はしてるけど、最後のページの映画レビューが本作品の映画部分の8割を構成している。その2人のレビューも2人性格がしっかりと現れて書かれてるから、2人の性格が自分の中に刷り込みされて最近は映画を見るたびに「この作品は、小春ちゃんが好きそうな作品だろうな」とか思っちゃう。
現在も、ここから無料で全話読めるので気軽に読んでみては?気に入ったら単行本も。


f:id:hkefka385:20170213131041p:plain
春ちゃんのこういう表情が好き

www.kurage-bunch.com


・木根さんの1人でキネマ

「1人でキネマ」とか言いながら、1人で見てるの最初の数話だけのリアルがある意味充実してる木根さんと一般人枠の佐藤さんを中心として映画を鑑賞する作品。とにかく、木根さんの映画に対する情熱が熱い熱い、熱すぎる。
毎話毎話、木根さんが映画に対して、もしくは映画を見る人に対して何か叫んでるイメージ。そんな熱い木根さんに読者は置いてけぼりになってしまいがちだが、そこで一般人の佐藤さんがちゃんとツッコミを入れてくれる事で良いバランスのマンガとなる。
特に、どんな言及をしてもガチ勢からツッコミがきそうな「新世紀エヴァンゲリオン」に対してもしっかりとツッコミながら面白い話を描いている3巻に収録されている「エヴァ回」が個人的ベスト。
映画好きなら共感できる事が多いと思うので、映画好きには特にオススメの作品。


f:id:hkefka385:20170213131652p:plain
傑作エヴァ回の第17話、2人でエヴァTVアニメを1話ずつ見ていく時の一場面

ヤングアニマルDensi


・ケンガイ

ケンガイ(1) (ビッグコミックス)

ケンガイ(1) (ビッグコミックス)

映画好きの白川さんを好きな伊賀くんが翻弄する一風変わった恋愛マンガ。
この作品が出て来る白川さんは今までの映画好きのキャラと比較にならないほどにクセが強く、社会性に乏しく映画以外の人生はどうでもいいと考えてしまうほどの本当の映画好き。映画をそこそこ見てると思ってる私でも洋画はまだしも邦画に関しては「誰??何??」っていった古い作品、監督名が大勢出てくる。
本作は、私の中でも特別お気に入りのマンガの一つだが、これをどうオススメすればいいのか難しい。デビッド・リンチ監督の「エレファントマン」が重要な位置を占めるが、メインの主題は映画というよりも、白川さんの人間性とそれに挑戦して白川さんを救おうとする伊賀くんの2人のやり取りなんだろうと思う。この2人の関係性、そして白川さんの愛の飢えた行き着く先のどうしようもなさなどと色々と心に残る印象深い点が多い。上手くこの作品の魅力を伝えきれず申し訳ないが、気になった方はぜひ一読して欲しいです。


f:id:hkefka385:20170213132030j:plain
白川さん


エレファント・マン [DVD]

エレファント・マン [DVD]


・怒りのロードショー

男子高校生がワチャワチャしながら映画について語る日常コメディ漫画。単行本の表紙が物凄くカッコイイ!! 実は、この作品を応援、紹介したかったのがこの記事を書いたキッカケ。(現在の単行本が売れないと、続刊が出ないらしいので。)
シュワルツネッガー愛に溢れる主人公シェリフや、プリキュア好きのまさみ、ホラー嫌いのヒデキ、ETやホラー映画好きのごんぞうなどが楽しそうに映画談義してるのが本当に羨ましい。
また、映画好きには欠かせない「歩くゾンビか走るゾンビか?」議論も第二回でしっかりやっているのも個人的好感ポイント。

f:id:hkefka385:20170213131807p:plain

ヒデキがまだホラー映画嫌いぐらいしか分からないので、そこら辺の掘り下げも期待しながら、続刊を期待したいです。Web連載の方を読んで気に入ったらWeb連載で載ってない店長とナカトミお姉さんの関係にドキドキとなる第9話が載っている単行本を買って読もう!

comicmcclane.web.fc2.com


f:id:hkefka385:20170213132306p:plain

トトちゃんと映画を一緒に見たい、人生だった。

歴史的な背景から見たイギリスのEU離脱(Brexit)について

ついに、イギリスのEU離脱(以下:Brexit)に関する法案が議会で可決された。

www.bbc.com

ここ最近、トランプ大統領の就任などと世界的なグローバル化の流れに反して先進国の一部では孤立主義的な流れが強まっている。このような出来事は世界的に見て異常と捉えるべきなのだろうか?それとも、歴史の流れとして当然に起こる出来事と捉えるべきなのだろうか?
今回は、BrexitについてイギリスのEUと関わり合っていった戦後の歴史的流れを振り返りながら、Brexitがどのような位置づけに置かれるのかというのを見ていきたいと思う。

●前提となる2つの視点

・3つの円環

「3つの円環」とは、49年10月にアーネスト・ベヴィンによって閣議に提出された覚書に記されたイギリス外交の基本要素として定めれた3つの要素に対して使われる言葉だ。その3つとは、コモンウェルスを背景とする世界大国の地位、英米の特別な関係、欧州統合のことを指しており、50年代以降のヨーロッパ統合構想へのイギリスの対応はこの3つの円環のバランスを取る、もしくはどちらかに肩入れを行うといった形でイギリスの外交が行われていく。3つの円環のうちどこを重視してイギリスは外交、政治を行っていくのかを見ていくと複雑な政治外交がある程度単純化されて理解しやすいように思える。

f:id:hkefka385:20170210224108p:plain


*イギリスのコモンウェルス:イギリスとその植民地であった独立の主権国家から成る、緩やかな国家連合

f:id:hkefka385:20170211095739p:plain
イギリスのコモンウェルスの領域図 引用:イギリス連邦 - Wikipedia


・欧州統合の2つの側面

欧州統合といっても各国の意識はバラバラだ。だから、時にはEU内で意見が割れ、イギリスの脱退が生じたりする。欧州統合の統合の歴史的な動きを見ていっても主に2つの側面が存在すると考えられる。政治的統合と経済的統合だ。この2つの側面のどちらを重視するのかで意見の相違が生じることが多い。

f:id:hkefka385:20170210224141p:plain

以下では、上記の2つの視点を意識しながらイギリスとEUの歴史を振り返ってみたい。


●戦後のイギリスによるヨーロッパ構想

イギリスのヨーロッパ外交という点からは、グラッドストーンでのヨーロッパ協調やソールズベリによる帝国主義の推進による所謂「光栄ある孤立」といった注目すべき点が多いが、現在の欧州統合に直接の影響を与えているという点から、チャーチルのヨーロッパについての考えから語っていきたい。第二次世界大戦前のイギリスはヨーロッパの繋がり強化といった事よりも、コモンウェルスへの経済依存を中心に行動していた。戦争を経て、イギリスはヨーロッパの繋がりの強化をする必要性を主張するようになった。
例えば、1946年のチャーチルによるスイスの演説では、「ヨーロッパ合衆国」という言葉を用い、ヨーロッパ統合の重要性そして、「欧州審議会」の創設、仏独の連携を希求する。また、イギリス外務省からも今後のヨーロッパの安定のため英仏協調の重要性が主張され「西欧ブロック」が提案された。この事から、1948年「西欧同盟」成立へ向けたブリュッセル条約が調印されることになる。このようにして戦後直後はヨーロッパの安定のために各国は協調して統合の方向に向けて進んでいた。しかし、1948年のハーグ会議で、イギリスとフランスの統合についての考えの違いが明らかになる。イギリスは主權を放棄するような、連邦主義的な統合は求めてなかった、一方でフランスはビドー外相の「欧州議会」の設立から見るように、ヨーロッパの問題(特にドイツ問題)は主權を放棄した連邦的な政策によって実現出来ると考えていた。このような意見の相違の末、欧州審議会の基本枠組みは連邦主義的な要素をイギリス政府が排除することで機構化されるという結論に至った。このような経緯を経てイギリス政府は「西欧同盟」という枠組みよりも、英米関係を軸とした大西洋同盟という枠組みを優先するという外交方針の転換を行う。この事は、ドイツとイギリスの連携の可能性を小さくさせることとなった、1950年のシューマンプランに行き着いた。
以上で見たように40年代のイギリスは戦中そして戦後すぐ後には西欧統合の構想を考え、実行を行っていたが、フランスによる主權を放棄する可能性が生じる連邦主義的な統合(政治的統合)について提案されるとイギリスはコモンウェルスへの影響などの理由から反対し、西ドイツ問題などは西太平同盟で解決するべき問題であると主張し、英米関係の重視に向かうことになる。また、この時のアメリカはソ連などの東側の脅威や、経済的な面から欧州の自立自助を行って欲しいという点から西欧統合を重視しており、マーシャル・プランなどを通じて援助を行っていた。そして、西欧統合に関しても、イギリス主導で進められる事を期待していたが、実際にはフランスによって行われることになる。

f:id:hkefka385:20170211095129p:plain

ヨーロッパ合衆国領域図 引用:United States of Europe - Wikipedia



●50年代におけるイギリスと多国の相違

50年代初め、アメリカは西欧統合を支持し、フランスは統合の主導を行い、イギリスは統合について協力するが、参加は拒み、NATOなどの大西洋同盟で西ドイツなどのヨーロッパ問題の解決を行うべきだという風に各国はそれぞれ考えていた。
51年10月にはイギリスの外相イーデンによって、コモンウェルスの力を基礎にして、緊密な英米関係と統合ヨーロッパとの協力関係をもって大西洋同盟の要を果たすといった方針が打ち立てられた。これは具体的には、「可能な限り緊密な協力関係」という政策を行い、ECSCや欧州審議会、閣僚理事会といった機関を整理統合し、新たな総会と閣僚委員会を新たに構築するイーデンプランという形で提案された。これはチャーチルによるイギリスと大陸の関係を「『共に』であって『中に』ではない」が表すようにイギリスは西欧統合に協力するが、統合までは行わないという事を示すものであった。
55年にイーデン内閣になっても基本方針は変わらず、イギリスのコモンウェルス市場が高い比重を占めるイギリスの貿易体系、政治統合への危険性、対コモンウェルス関係が弱体する可能性、国内産業の保護といった理由からヨーロッパ共同市場(EEC)の不参加を決定した。この当時、イギリスは経済統合でさえも受け入れなかった事が見受けられる。その代わりに、ヨーロッパ大陸でのイギリスの影響力の減少を留めるためにも域内関税は撤廃するが共通域外関税は持たないFTA構想を打ち立てた。しかし、ECCとの調整がつかずに挫折することになる。また、56年のスエズ危機によって英仏の関係が悪化し、フランスは共同市場支持に向けて行動していった。上記で見ていったように、50年代は西ドイツ問題対策を中心に西欧諸国が動いていった事が見うけられる。
フランスとイギリスは40年代と同様に統合についての考えが異なっており、スエズ危機を通じて更に対立が拡大したことが見受けられる。一方で、フランスとドイツの共同市場を設けることでさらなる接近が見受けられた。また、アメリカはECSCなどに関して米国の石炭鉄鋼業界が支持しなかったものの、西ドイツの西側統合の目的のために政府は支持するといった、経済的利益よりも政治的利益を優先してEECやECSC側の統合機構を支持する形をとっていることが見受けられる。40年代に一部で構想されていたイギリス主導の西欧統合はコモンウェルスや英米関係の優先などにより、この時点で既に難しかったのではないだろうか。


f:id:hkefka385:20170211095353p:plain

EEC範囲図(原加盟国は緑色) 引用:欧州経済共同体 - Wikipedia


コモンウェルスからの撤退

60年代になると、スエズ危機や通貨危機などの影響からイギリスのコモンウェルスの各国が高度経済成長の波から取り残されスターリング圏(イギリスを中心としたポンドを基軸通貨とするブロック経済)の価値が失われることになる。スターリング圏の一つであった南アフリカ国連から脱退したのがそれを顕著に表しているだろう。60年、イギリスのマクミラン政権は、EEC諸国側との交渉する立場の強化やイギリス孤立の可能性を無くすためにアウター7としてEFTAを設立する。また、冷戦激化のため英米関係が強化され、ミサイル供給合意を結ぶことになる。それと同時に西側諸国の強化のためアメリカからイギリスのEEC加盟要請が行われ、61年にはイギリスによる第一次EEC加盟申請が行われる。
しかし、イギリスの加盟にはいくつか困難が存在した。1点目に、イギリスは加盟後のコモンウェルス諸国との政治的・経済的関係をできるだけ維持する必要があると考えていた。2点目に、EFTA諸国の利益への配慮の必要性があった。3点目に、国内農家からの反発も予想された。こういった困難からイギリスは条件付加加盟申請を行った。しかし、上記で述べた困難や、フランスのド・ゴール大統領による英米間の特別な関係によって、アメリカが間接的に欧州統合へ影響を及ぼすことを恐れていたといった理由から、EEC申請の拒否を行った。この当時、フランスのド・ゴール大統領はソ連への接近を行い63年には仏独相互協力条約を結ぶなど独自にドイツとの関係の改善を進めており、まさに「第三の極」を作るように動いており、アメリカともイギリスの意向とは異なる動きをとっていた事が背景に存在する。上記のようにイギリスは冷戦の激化から西欧統合へ積極的な動きをとるものの、コモンウェルスやその他の利益の考慮により完全に西欧統合に踏み切れないことが見受けられる。64年にはイギリスでウィルソン労働党政権が誕生した。66年にはポンド危機が発生した。この対策として、デフレ政策とポンド平価の切り下げ、更にはヨーロッパへの参加といった2つの案が出たが、結果的にイギリスの世界的役割を継続するためにもデフレ政策の方針をとることになる。更に、西ドイツに対して駐軍費問題の追求を行った。それでも財政危機は止まらず、67年にはポンドの切り下げ、68年には軍事費の膨大の結果、スエズ以東防衛からの撤退を行う。このことは、「3つの円環」の内の一つコモンウェルスを背景とする世界大国の地位から撤退した事を意味していた。


f:id:hkefka385:20170211100416p:plain
EFTAの領域 引用:欧州経済共同体 - Wikipedia


●イギリスのEC加盟

70年になると親欧州派のヒース保守党政権が誕生し、70年には、イギリスの加盟に強く反対していたド・ゴールの退陣、フランス政権が西ドイツの「東方政策」を警戒し、イギリスを加盟させ影響力を確保したいという思惑が存在するといった理由から再びEC加盟申請を行った。72年になると、デタントが始まり、米ソの関係が安定し、そして遂に、73年には個別の問題について合意の方向性を確認し、EC加盟が成立することになるのだ。
この時期と同時にアメリカは大西洋憲章の策定提案を行い、米欧間で交渉が始まったが、第四次中東戦争による石油危機などの対応でアメリカと西欧間で対立が生じることになる。一方でEC首脳会議では「ヨーロッパアイデンティティ」宣言が採択され、さらなるヨーロッパの結託の必要性が再確認される。  78年のキャラバン労働党政権時には、欧州通貨制度(EMS)構想がECで提案されることになる。しかしイギリスはEMSの重要な構成要素の欧州為替相場メカニズム(ERM)に参加しない決定を下す。このことから、所謂「気の進まないヨーロッパ人」という名称を各国から言われるようになった。また、デタントの後退という状況によって、ヨーロッパの秩序安定のためアメリカからミサイルの導入を行い、この事によってアメリカとの軍事的結びつきが再び強まることになる。
70年代は、第四次中東戦争の石油危機の対応での対立や、当時の政権のニクソン大統領の方針から地域の経済力の拡大の重視、米国と西欧の協働利益の減少といった背景から、欧州とアメリカの関係が悪化することとなった。そんな時代の中、イギリスはコモンウェルスの崩壊を通じて、ヨーロッパ諸国との政治的統合には変わらず積極的ではないが、ヨーロッパの安全は考慮しつつ、アメリカとの関係を更に強化する道をとるといったアメリカとヨーロッパという2つの円のあいだでバランスを重視した外交を行っていった。


サッチャー政権による政治

80年代はサッチャー保守党政権の時代である。当時はイギリス国内にECの負担の大きさとその見返りの不均衡という不満が存在し、サッチャー政権は農業補助金の返還を求める「お金を返して」キャンペーンでこの問題の解決を測ろうとする。この問題はフォンテーヌブロー欧州理事会で合意に至るものの、当然ながら各国から不況を買うことになった。
85年のミラノ欧州理事会では統合市場の完成を目指す白書の採択と条約改正のための政府間会議の実施が決定した。この事は、市場統合についての多くは紳士協定での推進が念頭にあり、決して条約改正を目指すものではないことを望んでいたイギリスからしたら不満なものであった。
86年に採択された、政府間会議による単一欧州議定書における交渉では、イギリスと当時の欧州委員会委員長のドロールなどのフランスを代表とするEC各国との間にヨーロッパの世界観に関する違いが露呈することになった。ドロールは制度化、一体化されたヨーロッパ全体の中に各国が埋め込まれて初めて国民国家が開花すると考えていた。一方で、サッチャー政権はヨーロッパにおいては各国家が対置されているのが通常であり、ヨーロッパ共同体は主権国家の協力体に過ぎないと考えていた。その後、冷戦の終了、90年にはイギリスのERM加盟があり、80年代が終わっていく。
80年代は、フランスのNATO再参加などとアメリカと西欧の関係が緩和していく一方で、フランスとイギリスのヨーロッパ統合に対する考え方がドロールとサッチャーの主張から2国の方向性が異なることが再び認識させられた。


f:id:hkefka385:20170211103524j:plain
第14回先進国首脳会議の画像 一番左が、ジャック・ドロール元委員長、左から3番目がマーガレット・サッチャー元首相、一番右が竹下登元総理大臣
引用:第14回先進国首脳会議 - Wikipedia



●90年代〜00年代の欧州統合内での地位の低下

90年代は、強いリーダーシップを持ったサッチャーとは異なり、中立の立場で党内の対立の調整を行うメージャー保守党政権が成立する。当時においても、イギリスとヨーロッパとの関係は重要な問題であり、欧州通貨同盟とヨーロッパの政治統合についての政府間会議が行われることになった。政府間会議ではイギリスはEUの組織構造を加盟国政府が中心となる政府間協力の枠組みを基本とすること、欧州通貨統合に関して強制されないためのオプトアウトの獲得、域内市場における労働条件共通化促進の共通社会政策からのオプトアウトの獲得の3点を目標とし、実際にどの点もある程度実現され、マーストリヒト条約が結ばれることになる。
92年には欧州通貨危機によりポンドなどのヨーロッパ各国の貨幣の下落が見られた。このことからイギリスは通貨切り下げをヨーロッパ各国と同様に行うことを望んだが、欧州単一通貨への参加に積極的な国々は、参加基準の通貨価値の安定を満たすために切り下げを拒否した、イギリス政府は金利の引き上げやポンド買いなどを行うが改善されなかったためERMの離脱を行った。ERM離脱の影響により、97年のイギリス総選挙を通じてユーロ不参加を決定した。
97年は、ブレア労働党政権が成立した。ブレア首相はヨーロッパ統合に積極的に参加するイメージ獲得のために社会憲章への参加を行った。また、ヨーロッパでは十分ではなかった安全保障についても主導をとろうとした。しかし、安全保障に関しては、各国の安全保障の認識の程度の差、またイギリスはアメリカの支援を行う余地を多く残したいといった思惑がフランスの意図と合わなかったことからフランスと対立することになる。そして03年のイラク戦争でイギリスはグローバル性に共通の認識を持つことから積極的にアメリカとの連携をとることになる。しかし、イラク戦争そのものについてはフランスやドイツから批判があったことから、アメリカと連携を進めていくうちに、ヨーロッパで復活しかけていたEU内の地位も失われることになった。


f:id:hkefka385:20170211101746p:plain
ユーロ圏域(青色がユーロ使用、赤色がユーロ不使用) 引用:欧州為替相場メカニズム - Wikipedia


●ここ最近の欧州統合とイギリスについて

ここまで、イギリスとEUの関係の歴史的経緯について述べていった。更に近年、Brexitに直接影響与える出来事が2つ起こる。
1つ目は、04年にEUに新規加盟したポーランドなどの東欧諸国から英国へ流入した移民の急増だ。特に08年のリーマン危機後にイギリス本国における未職率の上昇とともに、低賃金で働く東欧諸国の移民が職を奪っているという不満が溜まっていった。そして、最近のシリア難民の問題がさらに国民の不満を加速させた。
2つ目は、11年以降のユーロ危機により、ユーロを導入していないイギリスのポンドも影響を受けた点である。これは、東欧諸国など経済力の低い国の加盟はギリシャの財政悪化のような危険を引き受けることを意味し、支援のための財政負担を強制の可能性が生じることになった。
これらの問題を受けて、イギリスのキャメロン首相は2015年11月10日にEUに対して4つの要求を行っている。1つ目はイギリスに対する政治的統合からの解放、2つ目に、競争力の維持、3つ目に、EU諸国間の統合を追求から免除され、組合の意思決定における国家の役割の増大、4つ目に、移民に対する福祉の制限を挙げている。この事は今までのEUやそれによって生じる問題に対する不満を踏まえた物となっていることが見受けられる。
引用:
https://www.nytimes.com/2015/11/11/world/europe/cameron-britain-eu-membership.html?_r=0


EUとイギリスの歴史的経緯を見てくると歴史上常に存在する以下の問題が見えてくる。政治的統合を行いたいEU諸各国と、結成当初第一の目的はドイツ問題対策、ドイツ問題が収まった後はヨーロッパの安全保障を第一と考え、経済的統合も行いたいが政治的統合までは行いたくないイギリスとの目的の相違。「3つの円環」においてコモンウェルス諸国の利益や英米関係などを考慮し、3つのバランスを取ろうとしていたが、ヨーロッパ諸国と比べ相対的にヨーロッパ統合の重視が低くなってしまったことによるイギリスの孤立。西欧統合に加盟後は、イギリスが先進国であるために、負担金やその他の参加国との経済的格差によって受ける不利益。歴史的に継続しているこれらの不満や問題に加え、近年のシリア問題やギリシャ危機といった時事問題が重なった結果、Brexitが起こったと考えられる。この不満が明示的に現れたのが上記で述べた2015年11月10日イギリスのキャメロン首相によるEUへの要求であろう。

このような歴史の見方をしていくと、Brexitは決して異常な出来事ではなく、歴史的な流れにおける不満が溜まった末の必然のように思える。
Brexitがどのように行われるのかは現在(2017/02/11)も明確に決まってない、また実際に欧州市場から脱退した後どのような影響を世界に与えるのかも予測しか出来ない。イギリスは現在も世界を構築する一要素をなしており、イギリスの動向は決して目を離す事ができないのは確実であろう。これからも注目していきたい。


主な参考文献

イギリスとヨーロッパ―孤立と統合の二百年

イギリスとヨーロッパ―孤立と統合の二百年

ヨーロッパの統合とアメリカの戦略―統合による「帝国」への道 (叢書「世界認識の最前線」)

ヨーロッパの統合とアメリカの戦略―統合による「帝国」への道 (叢書「世界認識の最前線」)

欧州連合―統治の論理とゆくえ (岩波新書)

欧州連合―統治の論理とゆくえ (岩波新書)

こちらも参考に
hkefka385.hatenablog.com

日本とアメリカのPC(ポリティカル・コレクトネス) -米大統領選を通じて-

f:id:hkefka385:20161119140249j:plain
引用:
https://www.donaldjtrump.com/about

●PC(ポリティカル・コレクトネス)の流行

アメリカ大統領選から一週間以上経とうとしています。今回の大統領選はクリントン氏がトランプ氏に敗北したという結果に終わり、このことに関して、多くの人が色々な意見を発言している光景がSNSやブログなどで頻繁に見受けられます。ドナルド次期大統領の決定は本当に衝撃的な出来事だったのでしょう。
ネットサーフィンをしていると、大統領選に関連して頻繁に使用、論じられている言葉がある。
そう、ポリティカル・コレクトネス(以下:PC)」だ。

大統領選の結果を振り返って多くの人がPCについて「PCが棍棒のように使用されている」や「PCが大多数者の暴力となっている」といった風にPCの使われ方が問題だったのではといった形で言及を行ったり、PCを上手く使うためにはどのようにしたらよいのか?などといった議論が活発にされています。

PCについて論じられているサイト:

togetter.com
togetter.com
synodos.jp

今回の大統領選のキーワードの一つにPCがあることは間違いないだろう。そもそもPCとは一般的にどういう意味で捉えられてるのだろうか?WIkipedia先生から引用すると、

ポリティカル・コレクトネス(英: political correctness、略称:PC)とは、政治的・社会的に公正・公平・中立的で、なおかつ差別・偏見が含まれていない言葉や用語のことで、職業・性別・文化・人種・民族・宗教・ハンディキャップ・年齢・婚姻状況などに基づく差別・偏見を防ぐ目的の表現を指す。

引用:ポリティカル・コレクトネス - Wikipedia

つまりPCは、差別的な表現はなくしていこうという概念であり、政治的に正しいことを追求することとも言えます。
PCという言葉、確かに大統領選後に一気に流行しだした(問題の一つとして認識し始めた)のは間違いない事実だが、私の実感では米大統領選に関わらず、ここ2,3年で一気に目にする事が多くなった用語の一つだと感じる。最近だと、人工知能学会の機関紙の表紙問題や、アニメ「GATE」の描写ヘイトスピーチなどに対して頻繁にPCという観点から批判などがあった事が挙げられます。

hkefka385.hatenablog.com

私達は今、アメリカ大統領選の問題も、日本でのヘイトスピーチなどの問題も「PC」という用語を用いる時には特に意識することがなく同等に扱っています。しかし、これでいいのだろうか?アメリカでの「PC」と日本での「PC」を本当に同じ意味で用いても良いのでしょうか?
「PC」という用語の使い方などが話題となっている今現在、PCの定義やルーツを遡って考えてみることは何かしらの示唆を得れるかもしれません。今からアメリカと日本のPCの違いについて考えてみるとする。


●アメリカでのPC

まず、「PC」という用語には言葉としての起原意味としての起原の2つ存在する。
言葉としての起原、つまり「Political correctness」という言葉がどこで生まれたかだが、初出は1793年のChisholm v. Georgia(チザム対ジョージア州事件)での最高裁判決で判事であるジェイムズ・ウィルソンによって発言された判旨の中の以下の文章

The United states," instead of the "People of the United states," is the toast given. This is not politically correct. The toast is meant to present to view the first great object in the Union: it presents only the second. It presents only the artificial person, instead of the natural persons who spoke it into existence.

引用:Chisholm v. Georgia (full text) :: 2 U.S. 419 (1793) :: Justia U.S. Supreme Court Center

この判旨で初めて”politically correct”という言葉が生まれます。しかし当時としての意味は漠然としたものであり、”politically correct”という言葉がアメリカ国内しいては世界中で頻繁に使用されるようになるのは、20世紀の中頃以降になるそうです。

意味の起原はどこからきたのでしょうか?この事は結構複雑であるので簡単に概要だけ説明します。
一般的に言われてるのはアメリカでの60〜70年代の学生運動の名残と言われていますが、実際にはもう少しだけ時代を遡って、1923年のドイツ、フランクフルト大学でのマルクス主義の研究を行う社会研究所の設立まで遡ります。

そこでは主にマルクス主義について研究されており、後の所謂フランクフルト学派(批判理論派)」というマルクス主義を進化させ、ヘーゲル弁証法フロイト精神分析理論の融合(と言われてもよく分からないが)を試みたグループが誕生します。フランクフルト学派ではキリスト教、資本主義、父権制、性的節度などこそが革命を妨げる差別の根源であり、あらゆる徳目や価値は批判されるべきと考えられていました。ここにPCの本質的な部分が見えるような気がします。

1930年代、ドイツでナチスが政権を獲得すると、ナチスマルクス主義を目の敵にしてたことからメンバーの多くがアメリカへ亡命し活動の中心が移ります。そして1933年にマルクス研究所はニューヨークに設立されることになります。

そして第二次世界大戦後、フランクフルト学派の批判理論家たちはトロツキーの人種や性的差別といった既存の価値の反転を行うべきといった主張を持ち出し、抑圧されたムスリムや非西洋人が少数者であり、不当な対象であるといった人種差別などの信念の反転をおこすべきという意図をもちます。こういった思想が、1960年代での若者を中心とした反ベトナム戦争などを主張するカウンターカルチャー運動を支えることとなります。

また、性差別への批判や黒人やフェミニストに対しての保護を著作などで主張した、後に新左翼の父と呼ばれるフランクフルト学派ヘルベルト・マルクーゼフェミニスト運動の推進者となるベティ・フリーダンといった人物などがアメリカの学生運動カウンターカルチャー革命などの推進に強い影響を与えることになります。こういった運動の一環で、1970年代に運動を担っていた新左翼が「Political correct」という言葉を用いるようになったのです。

そして、アメリカの政党(特に民主党)においても上記の学生運動を通じて、反ベトナム戦争を主張します。そして、90年代には両政党ともに反差別などやPCといった言葉が主張の一つとして使用されるようになったのです。

また、新左翼の運動を担っていたグループなども80年代頃、大学などを中心に入ってくることで「PC」が実践されるようになります。例えば、chariman→chair personpoliceman→police officerなどの言葉の改革、大学のカリキュラムへの介入などです。

このようにしてアメリカ国内で大学、政党という2方向からPCが広まっていきました。
いうなれば、アメリカの「PC」とは、政党における主義主張として用いられ広がっていくとともに、根底には「フランクフルト学派」や「文化的マルクス主義」といった(批判はあれど)しっかりとした理論が存在して使用されているのです。

参考
The Origins of Political Correctness
The Historical Roots of "Political Correctness"


●日本のPC

本でのPCという概念はアメリカから輸入されてきたもので、当然ながら歴史は浅いです。90年代では既に一部の学者や論者で利用されていたものの一般的なものではありませんでした。PCという言葉が広まったのはネット(特にSNS)の普及と共に生じたものだと考えています。

・2011後半〜現在
f:id:hkefka385:20161119132323p:plain
・2004〜現在
f:id:hkefka385:20161119132333p:plain


これはGoogle Trendsで「ポリティカル・コレクトネス」という言葉の人気度を調査した結果ですが、2004年〜2005年、2014年後半〜2016年という2つの期間での盛り上がりが見られます。(最後の急激な伸び上がりは大統領選関係ですね、やはりPCは一気に流行したことが伺えます)

ここで期間を絞ってGoogle先生で「ポリティカル・コレクトネス」という言葉で検索しました。其の結果、2004年〜2005年においてはアメリカの制度や2004年の大統領選、2008年の大統領選に向けてに関してメディアが言及しているのが多く見られます。一方で、2014年後半〜2016年においては、今回の米大統領選はもちろんですが、それだけでなく一般的な出来事に対してメディアではなく(私のような)個人ブログやTwitterのツイートをまとめた「Togetter」から用いられることが多く見られます。

この変化は、個人の多くのブログを持つようになったといった要因だけではなく、そもそもPCという言葉がジャーナリストや学者だけでなく、一般的な人を中心として利用されてることが推測できます。ここで個人のブログで注目すべきなのは「PC」という言葉の使い方に困惑している人が多い、とある作品や出来事の炎上などで用いている人が多いということです。この仮説をさらに確実なものにするために、Twitterで「ポリティカル・コレクトネス since:2014-12-01 until:2015-10-01」という風に期間限定検索してみると、言及としては女性軽視表現(例えば、のうりん炎上など)やそういった差別出来事に関して利用されてると共に、ポリティカル・コレクトネスの使われ方の難しさについて言及しているツイートが多いです。こういった状況を見ていくと、日本のPCという用語の広まりは、PCの意味の確定が先ではなく、それが正確に定まらないまま、差別的表現などのネットでの炎上に対して短く簡単に批判出来る言葉としてPCが使用されるようになったという事ではないだろうか?

だからこそ、そこに理論やイデオロギーは存在しない。PCという用語を用いる時に守りたい少数者が介しないことがある。最近のPCが用いられた炎上の例を見ていても(例えば駅乃みちか、碧志摩メグのポスター問題)、誰が実際に傷つけられて、誰の権利を守りたいのかはっきりとしない場合が多い。

いうなれば、日本の「PC」とはネット(SNS)の発達と共に生じたある種の理論に基づかない、ネットでの炎上時に用いられる言葉として使用されてるのだと主張したい。


●日本とアメリカの違いの原因

日本とアメリカでのPCの使われ方、現在に至るまでの流れを見てきたが、この違いはどこから生じるものだろうか?なぜアメリカではPCといった概念が定着し、マジョリティーを抑圧するまでに拡大したのだろうか?
私は以下の3点が要因と考えます
  - 訴訟中心の社会
  - 政治意識の高さ
  - 少数者の絶対数、多様性
なぜそのように考えるか、一つずつ見ていきます。

・訴訟中心の社会

アメリカは日本と比べ訴訟件数が圧倒的に多いです。この事は少数者差別に関しても同様です。
アメリカの雇用機会均等委員会(EEOC / Equal Employment Opportunity Commission)は雇用差別に関する告訴のデータを公開しています。見ていただいたらわかると思いますが、件数としてはかなりの数にのぼります。

Enforcement & Litigation Statistics

アメリカは少数者保護のための裁判が比較的に簡単に行うことができ、それを通じて判例が多く生まれ、立法側としても利用しやすいという特徴があるのかもしれないです。

・政治意識の高さ

アメリカの大きな特徴として政治意識の高さが挙げられます。私も以前アメリカに留学で住んでたことがありますが、アメリカに住んでる人は「政治」「映画」「アメフト」に関する意識が日本と比較して圧倒的に高いです。どの学生も政治的主張を持っているのがある程度当然として受け取られています。実際に、日本の政治的意識の低さと比較するとアメリカは高いと考えられます(日本とアメリカの政治意識を比較したデータは見つからなかったですが)
こういった政治意識の高さや自分の考えを持つことの当然さが政党の主張としてのPCを広めた一つの要因となっているのでしょう。
アメリカの政治意識は高いといっても投票率がそこまで高くないという指摘があるかもしれないですが、これは投票所までの距離的な問題や投票までの待ち時間の問題など制度的な問題が根本にはありそうです。

参考
http://www.nhk.or.jp/bunken/research/yoron/pdf/20150101_5.pdf
https://www.census.gov/prod/2014pubs/p20-573.pdf

f:id:hkefka385:20161129143856j:plain
出典:Profile: Barack Obama -- U.S. president-elect_English_Xinhua


・少数者の多様性と絶対数の多さ

アメリカは少数者の多様性と絶対数の多さが特徴の国です。こういった特徴からアメリカ人公民権運動のように少数者の権利保護獲得の運動にはそういった少数者グループ自体が運動の中心となります。私がアメリカに留学してた時はちょうどアメリカ最高裁が同性婚を認めた時であり、アメリカ中でLGBTのパレードがありました。多くの人がFacebookのプロフィール写真をLGBTのシンボルであるレインボーフラッグ化した事は記憶に新しい出来事です。(今までそういった問題に無関心であった多くの日本人までもがそのようにしていたことから日本人はそういた流れに乗りやすんでしょう)その時私が住んでたのはリベラルな州、ワシントン州のシアトル付近であったことからLGBTのパレードも盛大に行われました。そのパレードの中心となっていたのも、参加していたのも多くのレズビアンやゲイの方でした。こういった風景からも少数者保護の中心には実際の少数者グループが中心となっていることが伺えます。

しかし、日本では少数者というのが本当に少数者であり、絶対数としてもかなり少ない人数です。例えば、アイヌ民族の問題。アイヌ民族に関して社会的地位の向上に関する啓発と施策の推進を行う団体として北海道アイヌ協会が存在しますが、実際にアイヌ民族が話題になる時は当事者による行動よりも外の人の行動によって起こることが多いです。(例えば、SNKプレイモアのナコルル問題や「アイヌ民族はもういない」発言問題など)

言うなれば、日本においてPCの対象となる少数者の存在が絶対数的に本当に少数者であり、彼らのグループの行動よって問題が提起されることが非常に少ない。また、少数者がある程度の数(中国人や在日と一般的に言われる人達)になっても日本の社会的な空気感として黙殺されることがありのかもしれません。私達が目で見て、実際に知っている差別的出来事はその一部が炎上という形で表に出てきたものだけかもしれません。


●初めから、「PC」は道具に過ぎない

アメリカと日本のPCの違いについてこれまで見てきましたが、アメリカではPCを政党の主義主張、そして日本では炎上に対して発言するためのツールとして使われています。
だから「PCが棍棒として使用されている」や「PCが中立的な公共のツールではなく左派リベラルの武器になった時点で本来の価値は無くなった」という発言や考えは妥当でないかもしれません。なぜなら、初めから、現在においてまで常に「PC」は中立的なツールなのではなく、時代の変化とともに、ある時は新左翼、ある時はネット民などの主義主張のために用いる道具として利用されているからです。たとえ、PCを相手を傷つけないように注意して間接的に利用しようとも、結果的に一部の相手を傷つけてしまうのは避けられないのかもしれません。


●PCは私達に何をもたらすのか?

思った以上に長くなりました。そろそろまとめに入りたいと思います。今回の米大統領選に関しては、PCの過熱によって社会が息苦しくなった結果、トランプ支持層が増加し、投票という形で現れたというのが一般的な見方でしょう。(他にも多くの意見があるでしょうが、今回はそういうことにしておきます。)

今回がPCの使用の過ちによって多数グループのフラストレーションが溜まるという問題が起きたというのならばPCはどのように使用されるべきなのでしょうか?それともPCなどを使用することが間違いなのでしょうか?

この問いは「私達の理想とする社会が何なのか?」という問いと直結してくると思います。つまり、PCを最大限用いて実現する社会、それはおそらく全体主義的な社会なのでしょうが、これを私達が目指したいかどうかです。これに関してそれぞれ意見や主張があるでしょう。

私自身の意見としてはPCを用いることもPCの使用を危険だと過度に抑えようとするのも否定はできない、してはいけないと考えます。結局は何回も相反する立場の者が闘争を重ねて、少しずつ妥協点を作っていくのが良いのではないでしょうか?

ガンダムシリーズだって、宇宙世紀に入る時は地球連邦として一度まとまったものの、一年戦争グリプス戦役などと結局は戦争に入ります。どんなに宇宙世紀の時代が進んでも、ガンダムシリーズが進んでも常に闘争は存在します。そして闘争の後には、両者の合意点としての結末が存在します。私は闘争を認めることはできないが、否定することも難しいのではないでしょうか。

現実世界においても、Britix(英国のEU脱退)とトランプ氏の当選などPCという言葉、概念、運動といったもののそれの反発のような結果が生じています。この事によって、各民族、国民ごとの孤立主義になる可能性もありますが、このようになるのはある意味当然の反応であり、両者の立場の押して、押し返しで両者の納得行く地点へと持っていくのを待つほかないのかもしれません。

逆に言うと、少数者が少なく、そのような運動やが起きにくい日本には危険な側面もあるのではないでしょうか?先程も述べたように、日本は島国ということもあり、少数者が絶対数的に少ない。また居たとしても彼らの主張はそこまで取り上げられない空気が存在する。この事は時代が進んだ後に少数者と多数者との闘争が何度も行われた他国と比較して文化的な遅れが生じる可能性が高いです。そういった場合には強行的な手段も必要となってくるのではと考えたりもします。


今回はここらへんで終わっておきます。
この記事を通じて、PCの使われ方やこれからの社会の目標とする先を個人個人が考えてくれると幸いです。


*昔書いたポリティカル・コレクトネスとディズニー映画に関する記事:こちらも参考に
hkefka385.hatenablog.com

「君の名は。」感想その1 「君の名は。」は「雲のむこう、約束の場所」のリメイク作品に感じた件

f:id:hkefka385:20160922173336j:plain

ー「君の名は。」のネタバレを含みます ー

君の名は。」を2回ほど観てきた。観終わった後の感想として、一言言うなら
「面白かった!!!」
で二言目に出てきたのは
新海誠監督の雲のむこう、約束の場所と似てたな」
だった。


でも、自分の周りの新海誠監督ファンに聞いても同じように思っている人は少なかったし、ネットを少し覗いてみてもそんなこと言っている人もほとんど居なかったんですよ。これは、自分の感性がズレているのか、それとも周りに雲のむこうを観ている人があまりいないからなのでしょうか?(おそらく前者)


君の名は。」本編自体の感想に関してはまた今度述べるとして(「面白かった!」でも十分な気はするけど)、どこらへんが「君の名は。」が「雲のむこう、約束の場所」に似ていたかについて話していきたいと思います。


(ちなみに、私は新海誠監督による公開されている映画は全て見ていて、どれも結構好きです。一番好きな作品は「雲のむこう、約束の場所」です!)




そもそも、「君の名は。」はみなさん観ていますよね??
観てなかったらぜひこんな感想を読む前に観に行ってください!


雲のむこう、約束の場所」に関して簡単に説明しますと
新海誠監督の「ほしのこえ」に続く2004年に公開された2作目の監督作品。(もう12年も前!!意外!!)
簡単なあらすじとしては、

日本の北海道がユニオンという国家に統治され、謎の高くて白い塔が北海道で建造されているという少しSFチックな世界観。そこの青森に住む中学生の2人藤沢浩紀白川拓也は白い塔に憧れ、塔まで行くために飛行機ヴェラシーラを作る計画を進めていた。そんなある日のこと、浩紀が口を滑らせたせいで、クラスメイトの沢渡佐由理にそのことがバレてしまう。そして3人でその秘密を共有しながら計画を着実に進めていたが、完成間近になって佐由理は2人から姿を消すこととなり、2人もそれからヴェラシーラの作成を辞めてしまう。
それから3年後、東京に出た浩紀は佐由理の夢をよく見ていた。一方で、佐由理も荒廃した世界の夢を見ており、実際に佐由理が2人から姿を消したのも原因不明の夢を見続ける病気にかかったためだったのだ。
そしてなんやかんやあって、浩紀と拓也は再び出会い、ヴェラシーラに佐由理を乗せ、塔に連れていくことで佐由理は目覚めると同時に宇宙が喪失すると知った2人は塔の破壊と佐由理を目覚めさせる事を同時平行して行うために、ヴェラシーラで佐由理を載せて連れて行き目覚めさせるとともに、爆弾で塔の破壊を行い。宇宙の喪失をくい止めるが、佐由理の夢の中での記憶は消えてしまう・・・

雲のむこう、約束の場所」のあらすじ説明ってかなり難しいですね・・・
詳しくは本作を観ていただくか、Wikipediaあらすじでも読んでください!

f:id:hkefka385:20160922175236j:plain



で、「君の名は。」と「雲のむこう、約束の場所」の2作が似たものと感じたのはどこかというと大きく2点
・「夢」というのが大きく関わってくる点
・物語の流れの構造が異なる世界にいる男女2人がお互い会おうとしているという点



●「夢」というモチーフ

君の名は。」では、三葉と瀧の精神が夢の中で入れ替わり、二人がお互いの私生活を演じて暮らすという展開が前半に繰り広げられる一方で、後半にも夢と現実、現世とあの世の境目となる「かたわれ時」も重要な役割を背負ってます。
物語の時間軸において何が夢で何が夢でなかったのか?といった所を語りだすとSF談義になってしまいそうなので今回は遠慮しておきますが、とにかく「君の名は。」において使用されている音楽にRADWIMPSの「夢灯籠」といった曲があるなど「夢」というのは重要なモチーフになっていることは確かですよね。

一方で、「雲のむこう、約束の場所」では明確に「夢」の中の世界が描かれています。
物語の中盤から終盤に向けて、ヒロインである佐由理はずっと夢の中の世界でひとりぼっちで過ごしています。また、主人公である浩紀も夢の中で佐由理の気配を感じ探します。実際に夢の中で二人が会っているわけではありませんが、夢の中の出来事は現実以上に重要な意味を浩紀にとっても鑑賞している私達にとっても重要なものとなってくるのです。



2つの作品はどちらも惹かれ合った、もしくは惹かれ合いそうな男女二人は「夢」の中ですれ違っている。そこで直接出会えるわけではないが、夢の中の世界は二人の関係において重要な役割を担っています。


これの感覚って、日本古来の夢の感覚に近いものを感じます。
例えば、平安時代藤原敏行が読んだ

住の江の 岸による波 よるさへや 夢の通ひ路(ぢ) 人目(ひとめ)よくらむ

という和歌は男女の恋愛の夢の感覚を示したもので、意味は
「現実世界はまだしもなんで、貴方は夢のなかにさえ現れないの?別に見ている人は誰も居ないのに。私への思いはどうなったの?」
というものです。
平安時代の貴族は自分の夢に頻繁に出てくれる人は、自分の事を想っている人であり、出てこなくなれば、その人は自分の事をあまり想ってくれなくなったという風に判断していました。つまり、平安時代の貴族が男女の恋愛の仲を計るための基準として夢を用いており夢の中で出会える異性というのはとても重要な意味を持った人物となったのです。
この考えと新海誠監督の描く夢と似ているところがありますね。



●似ている物語構造

君の名は。」では、夢の中で入れ替わった瀧と三葉の2人がもう一度会うためにお互い行動を起こし最終的に出会うことができる物語(結ばれることが示唆されてる)です。瀧は三葉と会うために、長野県に飛騨に行ったり、隕石の落下を知ってからは三葉そして糸守町に住む住民をなんとか出来ないか色々と試します。同時に三葉も瀧に会うために1人で東京に行ったりします。

雲のむこう、約束の場所」では、佐由理は夢の中に囚われており自ら行動を起こすことは出来ないですが、一方で、浩紀と拓也の2人は佐由理のため(ついでに世界のために)ヴェラシーラを完成させ、塔の破壊を試みます。
2作とも男女お互いが直接会うことが出来ない状況の中、お互い出会うために行動を起こそうとする所が印象的でした。


そして夢の中のこと、幻想の中で起こった出来事は現実に帰るとともに消えてしまうというのも一緒です。
君の名は。」だと、2人の最後の入れ替えの後にお互い名前や詳細を忘れてしまいます。少し思い出すキッカケとなりそうな残り香を置いて。
雲のむこう、約束の場所」では、佐由理が夢から目覚めると、拓也に言いたかったこと夢のなかでの拓也への想いなどが消えてしまいます。

f:id:hkefka385:20160922175538j:plain


君の名は。」と「雲のむこう、約束の場所」の共通点は言ってしまえば「夢というモチーフ」そして「大まかな物語構造」の2点だけなのですが、この2点がストーリーに大きく影響を与えているため二作品が似ている印象、リメイク作品のような印象を受けました。


ただ、結末は違うものとなっています。
君の名は。」では、二人は再び社会人になってから出会うことができ、お互いが結ばれることが示唆さして終わります。
一方で「雲のむこう、約束の場所」では、お互いは夢から目覚めることでいつでも出会える関係になったもののお互いは結ばれずに終わるのです。
ある意味結末が二作を決定的に違うものにたらしめているといってもいいのかもしれません。


どちらにせよ、新海誠監督の「君の名は。」しかり、「雲のむこう、約束の場所」しかり良い作品には違いないです。あんな綺麗な作品を大きな画面で見れるという意味だけでもまだ観てない人は映画館に行ってみるべきです!(多分ここまで読んでる人で観てないとかいう人はいないと思うけど)
もしこれで「雲のむこう、約束の場所」に興味をもった方がいるなら是非観てほしいです!
新海誠監督の考える「夢」とは何かというのもしっかりと感じれる作品になってますし、巷で言われるように欠点もある一方でしっかりとエンタメとして面白く飽きることなく見れる作品ですので!


【追記】

特に、「君の名は。」のこのシーンと、「雲のむこう、約束の場所」の夢の中のシーンとかはまんまそうですよね。

その2とか、続きは普通の感想を書こうと思ったけど、私の言いたいことは他の感想ブログやSNSなどで発言してるみたいだし、書くモチベーションが下がったので・・・

Kindle Unlimitedのリストで面白かった、面白そうなオススメ本10選 <漫画編>

ついに、日本でもKindle Unlimitedが始まりました!!!
少し前にアメリカに住んでた時にはすでにKindle Unlimitedが始まってたので、その時に数ヶ月だけ購読してたんですよね。やっぱり洋書は読むの疲れてあんまり読めなかったので元が取れたかどうか微妙だったんですがね。そのKindle Unlimitedが日本にやっと導入されました!
アメリカでその存在を知った時に、日本は出版社関係の制約とか多そうだから出来ても2020年くらいだろうし、開放される書籍もどれも微妙な物ばかりなんだろうななんて思ってましたが、実際には2016年に実現したし、リストも滅茶苦茶良いというわけではないが、思ってたよりいい本もあるなーという印象。その開放された書籍リストの中でも、自分が読んで面白かったもしくは、読みたかった漫画、書籍をそれぞれ10冊づつ紹介していこうと思います。

●インベスターZ

インベスターZ(1)

インベスターZ(1)

ドラゴン桜」とかで有名な三田紀房先生の漫画です。あらすじとしては、頭の良い主人公が、「投資部」に入って投資のあれやこれやを色々と学び、仲間と一緒に投資していくというもの。
主人公が中1ながらも、投資先を見つけるための情報を色んな人から見つけようとしたり、実在の人物などが登場しており、現在ビジネスパーソンをしている方々にも参考になる点が多いかも。「お金=幸せ」という主張が徹底されており、そこが魅力の1つともなってますね。
投資漫画として色々と多くの教訓や情報が入ってとても物語として読みやすいものなのでそういうのに興味があれば、オススメです。逆にお金のやり取りとか投資に興味がないと読んでても面白く無いかも。

●citrus

citrus: 1 (百合姫コミックス)

citrus: 1 (百合姫コミックス)


やっぱり、百合漫画って汚い男が出てこないので、(一部の)男にとって究極の癒やしなんですよ。あらすじは、ギャルでビッチそう(ビッチじゃない)柚子と、成績優秀で清楚そうな(清楚じゃない)芽衣が家庭の事情で同居することになり、お互い惹かれ合っていくというもの。
とにかく、キャラクターが可愛くて、絵や描かれる表情で惹きつけられる。少々展開が早く、好都合な設定が強引なところがあるものの、そういったところが気にならなくなってしまうぐらい、彼女達がどのようになっていくかが気になる。
百合漫画に興味がある方は是非一読を。

●春の呪い

春の呪い 1 (IDコミックス ZERO-SUMコミックス)

春の呪い 1 (IDコミックス ZERO-SUMコミックス)

どっかのブロガーさんが紹介してて、読んでみたいなと思ってた漫画。あらすじは、大好きな妹が死んだのに、その妹の婚約者と付き合ってしまう話。
お決まりの少女漫画だとかでそういう設定があっても、基本的には徐々に仲良くなって、最終巻でやっとトラウマや過去を振りきって付き合ったりする。だけど、この漫画はそういった過程をすっ飛ばして付き合ってしまったことにより主人公が苦しそうなのが印象的だった。まだ、1話しか読んでないので続きを読んでみたい作品。

バーナード嬢曰く。


Kindle Unlimitedに登録した、もしくは登録を考えている人はきっと本好きだろう。いや、そうに決まっている。故に本好きの者達は「バーナード嬢曰く。」読んで悶絶しなければならない。自分の過去に。
あらすじなんていうものはないが、簡単に言うと、本好きの振りをしている主人公が友達の影響で徐々にいろんな本を読んでいくと共に、本好きあるあるネタがメインで展開されていくといったもの。
色んなSF作品が紹介される一方で、大きな分厚い本を人前で読んで頭が良いふりをしたいや、有名な本やドラマ化される作品は単行本の時に読んどいて友達に自慢したいなどなど。昔そういう自意識があったなと悶絶してしまう。水嶋ヒロの「KAGEROU」について熱く語られるところなど面白い。
主人公と神林の百合関係として見れるのも好ポイント。アニメ化もされるので、先に読んで友達とかに「あー、あれね、原作好きなんだよねー」って言いたい人にもオススメ。

アドルフに告ぐ

手塚治虫先生は神である。故に、その代表作である「火の鳥」も神である。だが、なんと憎たらしいことに「火の鳥」をKindle Unlimitedは16冊中、5冊しか公開していない。なんと憎きことたるや。
では、手塚治虫作品で私が次に好きなのは「アドルフに告ぐ」でも。あらすじは、第2次世界大戦前後にアドルフという名を持つ3人の男を主軸に機密文書を巡って色々起こるといったもの。
提示される問題に、国家、民族、イデオロギーなど難しい問題が多く描かれており、今読んでも考えさせられることは多く有るだろう。
実を言うと、これを読んだのかなり昔だから、内容結構忘れてるんだよね。読み返さなくちゃ。

ワカコ酒

ワカコ酒 1 (ゼノンコミックス)

ワカコ酒 1 (ゼノンコミックス)

1人のOLが居酒屋などに入って、毎回異なる肴と共にお酒を楽しむだけの漫画。これ読むと、居酒屋とかに入ってお酒と一緒に美味しいものが食べたくなる。まあ、お酒嫌いなんだけどさ。

●ピコピコ少年

ピコピコ少年

ピコピコ少年

読んでみたい漫画の一つ。最近、新刊が発売された「ハイスコアガール」の押切蓮介先生の漫画。押切蓮介先生の幼少時の時のゲームにまつわる体験を漫画にしたものらしい。
ハイスコアガール」の時も思ったが、こういった時代懐古系の漫画はやはりその時代で育たなければわからないことが多く(時代の雰囲気や、その時流行ったものなど)十全に楽しむことが難しい。この漫画も同じで、青春時代紹介されるゲームを体験してたら最高な読書体験になるのだろうが、自分は知識としてこういうゲームがあったなど知ってるぐらいなのでそこが残念なのです。
『ピコピコ少年SUPER』の最終話、面白いというか刑事告訴の時の話なので、そこら辺が気になる人も要チェックです。

ストップ!!ひばりくん!コンプリート・エディション

「男の娘」という言葉が流行ったのは最近だと思う。だけれども、「男の娘」の原点はおそらくひばりくんだろう。江口寿史先生の漫画。内容は、ひばりくん(女装少年)が騒ぎを起こして主人公が巻き込まれるだけなのだが、とにかくに、ひばりくんが滅茶苦茶に可愛い。(だが、男だ。)
男の娘が気になるなら読んで損はない作品です。

国民クイズ

国民クイズ  上

国民クイズ 上

こんな、カルト的な漫画も公開してくれるんだから、Kindle Unlimited侮れないよね。
あらすじは、民主主義を捨て、国民一人一人がテレビ番組「国民クイズ」での合格によって特権を勝ち取る全体主義国家、日本で起こる「国民クイズ」の是非をめぐるといったもの。
バトル・ロワイアル」とかに近い感覚を受けるし、最近のバトル・ロワイアル系の作品が多い中では普通に感じるかもしれないけれど、これが1993年に書かれたというのが衝撃的。そしてNHKの放送料問題や、教育における国家問題なども作品の中で示唆されている。
なんとも、恐ろしい漫画でカルト的漫画と言われるのも納得です。

ゆゆ式

ゆゆ式 (1) (まんがタイムKRコミックス)

ゆゆ式 (1) (まんがタイムKRコミックス)

ゆゆ式は神




ほんとは、書籍の方もまとめてやりたかったんですけど、ちょっと他にやることが多くて・・・
一応以下で何を取り上げようとしてたかは挙げますので、興味があったら見ていってください。
もし、時間があれば来週辺りには書籍の方のリストとコレと同じような一言コメントでアップしたいとおもいます。

マーケットの魔術師 ? 米トップトレーダーが語る成功の秘訣

マーケットの魔術師 ? 米トップトレーダーが語る成功の秘訣

  • 作者: ジャック・D.シュワッガー,横山直樹,Jack D. Schwager
  • 出版社/メーカー: パンローリング
  • 発売日: 2001/08/01
  • メディア: 単行本
  • 購入: 9人 クリック: 87回
  • この商品を含むブログ (35件) を見る
未来型国家エストニアの挑戦  電子政府がひらく世界 (NextPublishing)

未来型国家エストニアの挑戦  電子政府がひらく世界 (NextPublishing)

人間の大地 (光文社古典新訳文庫)

人間の大地 (光文社古典新訳文庫)

星を継ぐもの (創元SF文庫)

星を継ぐもの (創元SF文庫)

図解 世界史 歴史がおもしろいシリーズ

図解 世界史 歴史がおもしろいシリーズ

マチネの終わりに

マチネの終わりに

黒蜥蜴

黒蜥蜴

本好きの下剋上 第一部「本がないなら作ればいい! 1」

本好きの下剋上 第一部「本がないなら作ればいい! 1」



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

追記

ボクラノキセキ


Landreaallボクラノキセキあるじゃん。この漫画超絶面白いのでオススメ
特にボクラノキセキは個人的にかなり大好きなので、ほんと色んな人に読んで欲しい

ディズニー、ピクサー映画とポリティカル・コレクトネス

注:この記事の中にアナ雪とズートピアの大まかなネタバレと、ディズニー作品全体について触れてます。ネタバレが嫌な方は気をつけてね


最近、ズートピアを見たが、予想を裏切らない王道ストーリーでかなり面白かった。ディズニー映画は脚本は完成しきっており、娯楽映画では負けなしになってしまったなぁとも。それに加え、ここ最近私の周りでズートピアを絶賛する声が物凄く大きい。映画としての完成度を褒め称える声は大きく、普段映画をそこまで見に行かない人でさえ、3回も見に行ったりしている。他にもメッセージ性が強いといった声も大きい。ズートピアを見たらわかると思うが、これは明らかに差別をテーマにした映画とも言えるだろうし、このメッセージは誰にでも高度な読解力なんて必要なく伝わるものだった。
そういえば、アナ雪も”Let it go"だけでなく、ジェンダー論の話としても公開当時盛り上がったなと思い出した。
このディズニー映画の最近の流れとここ最近使われるようになったと思われるポリティカル・コレクトネス」の事についてが今回のテーマだ。

ポリティカル・コレクトネスの説明は後ほど…

ピクサーやディズニーの脚本

先程、ディズニー映画、しいてはピクサー映画の脚本は完成仕切っていると言ったが、 「ポリティカル・コレクトネス」について語る前にディズニー映画やピクサー映画の脚本とはどのようなものなのかについて見ていく。
ここで、大きく参考になったのは、トイ・ストーリー3の特定映像の「ピクサーの脚本の書き方講座」というものだ。


この脚本の書き方講座はとても分かりやすく、非常に面白いので脚本家とか物語に関わるものだったら見て損がないと思いますのでとてもオススメです。
この脚本講座ではピクサーが作成している脚本を具体例とし、どのような構成をとると物語が受けるものになるのかについて説明している。簡単に概要を言うと…
①主人公の紹介(動機付け)
     主人公の弱点
    主人公にとって一番大切なもの
②初めの状況が変わる出来事
③主人公の挫折
④主人公が失ったものを取り戻す旅
⑤失ったものを取り戻し、弱点の克服

といった流れです。

例えば、「トイ・ストーリー」を想像すると分かりやすいかもしれない。
トイ・ストーリーは上記の脚本構成に従って当てはめていくと
①主人公の紹介
  主人公:ウッディ
    大切なもの⇒アンディ
    弱点⇒アンディにとって一番大切だという地位
②初めの状況が変わる出来事
  バズライトイヤーの登場
③主人公の挫折
  アンディがバズライトイヤーばかりで遊ぶようになる
  仲間たちの信頼を失う
④主人公が失ったものを取り戻す旅
   アンディの引っ越しなのにも関わらず、ウッディとバズが置いて行かれる
⑤失ったものの取り返し、ハッピーエンド
  仲間たちの信頼の取り戻し、バズという仲間の獲得、ウッディからも大切にされる
っていう感じに。この脚本講座が実際のシナリオに当てはまるものと分かる一例ですよね。

で、今回注目したいのは①の「主人公の弱点」と③の「主人公の挫折」の所。
主人公の弱点そして、そこから引き起こされる主人公の挫折、それを取り戻した時の結果が時代と共に変化してきてるんじゃないかとそしてこの点が「ポリティカル・コレクトネス」について語る一種のキッカケになっているのではと思った。

主人公の弱点と最後に獲得した物について、具体的な作品で見てみると…
 アラジン:路上生活で泥棒生活という身分⇒アラジンとジーニーの絆と身分の関係のない恋の獲得
 ノートルダムの鐘:醜い自分(市民からの迫害)⇒勇気ある行動による市民からの信頼獲得
 カーズ:友達のいない自分⇒勝利にこだわらない自分、友達の獲得
 ラプンツェル:魔法に縛られた人生(囚われの身)⇒魔法に縛られない幸せな人生
といった感じですかね。
ここで注目したいのは、こういった問題のどれもが他人から引き起こされるもの、自分が引き起こされる物に関わらず、個人の悩み、問題に過ぎないという点。ここでの解決は主人公の周りの関係に存在する問題を解決することであるといった点だ。
これらの点が最近のピクサー映画やディズニー映画では変わってきているのでは?

次に最近のアナと雪の女王ズートピアのストーリーについて考えてみる。

アナと雪の女王


アナと雪の女王(以下:アナ雪)は知っての通り、ダブル女主人公というディズニーでは特殊な位置にあり、最終的に王子という存在を差し置いて、二人の姉妹愛の素晴らしさという形で終わりを迎える。
ここでの主人公の弱点と最後に獲得したものは
  - アナ:結婚という幸せな人生だけへの憧れ⇒姉妹愛への見直し
   - エルサ:魔法に縛られた人生⇒自由な人生、姉妹愛の再獲得
だと考えられる。
ここでアナ雪では1つの作品において2人の解消ポイントを同作品内で別々の所に持ってきている。
1つ目に、アナの獲得した姉妹愛。これを獲得したのは、誰もが分かるように最後のクライマックスであり、そこに至るまでに主人公であるアナが自立した女性としての成長物語といった風にも描かれている。
2つ目に、エルサの獲得した自由な人生。これを獲得したのは、おそらく異端な能力を他人に見せたことによって城に引きこもった時点で既にエルサはこの隠遁生活が一種の幸せなものと認識しており、それを「Let it go」という歌で表現している。
つまり、アナと雪の女王は2人の物語が同時平行しているとともに、2人のかけがえのないものの獲得は別々の所で行われている。
同時に、この2つの獲得は現代社会に存在する問題にも繋がっている。エルサの物語を見せることで、幸せな結婚生活という通常テンプレートと思われるの生活への問題提起、新たな生き方の提示。アナの物語を見せることで、人と違うことによる社会での窮屈さ、感情を表したりするのを良しとしない精神的風土の問題点、そして新たな生き方の提示を行なっている。
おそらく、「Let it go」という歌が広まった理由の1つもこういう社会の生きづらさを否定したいという真意を汲みとった歌詞であったということもあるであろう。

アナ雪が提示したジェンダーの問題」そして「テンプレートな人生の見直し」はこの時代、現代において誰もが注目に値する適したテーマだと思いませんか?


ズートピア

ズートピアの物語は、ジュディというウサギの主人公が初のウサギ警察官となったが、小動物は事件捜査できないという上官の考えから事件の捜査はさしてくれないという挫折があったものの、ニックというキツネの相棒と共に事件の解決を目指す物語である。
ここでの主人公と最後に獲得したものは
  自分でも自覚していなかった偏見、ウサギという地位による差別⇒偏見の解消、仲間と地位の獲得
だと考えられる。
これもアナ雪と同様にズートピア現代社会に大きく存在する問題の「差別」に繋がっている。それは、人種差別はもちろんのこと、生活習慣からくる偏見、体格からの偏見など様々であり、暗示的に社会に存在する「差別」の恐怖を描いていると共に、最後には社会における偏見の解消と、主人公の中に存在した隠れた偏見の解消を果たすことで私達はカタルシスを得る。
1回見てくれた人にはわかると思うが、このズートピアという作品は「差別」と言われてしまう表現が至る所に溢れている。
例えば…
 ・ジュディがナチュリストクラブに入った時に表す拒絶反応
 ・ジュディに対して、クロウハウザーは「可愛いね」と言った時の「同じうさぎに可愛いと言われたら嬉しいけど…」⇒黒人に対する「ネガー」と同じような感じ?
 ・ニックがフィニックとアイスを購入するときに入ったゾウ専門アイス店での対応
などといった感じで、ストーリーで明らかな終盤現れる、肉食動物に対する草食動物からの差別だけでなくこういった細かな点に多く現れている。
少し話しが変わるが、これを描けたことがズートピアの大きな達成ポイントと考える。通常の映画、つまり人間を主役とした映画でこのような表現を書こうとすると生生しく(現実にも存在する表現となるため)、決してディズニー映画ではできない、子供向けとはいえない映画ができたことだろう。しかし、ズートピアはこれを動物による擬人化という発想にすることで、現実にも存在する差別を描く際に、表現がマイルドなものを達成できたという所。そして、ズートピア内の差別と人間社会の差別を連結させて想起するのは大人であり、子供達は最高のエンターテイメントとしてのクライム映画作品である所に落とし込んだ事が本当に素晴らしいし、さすがディズニーといったものだ。

この映画の2つに見られる特徴は一言で言うと、個人の問題(ミクロの問題)と社会の問題(マクロの問題)が関連して物語が描かれるようになってきたという事だ。この潮流は実際アメリカのヒーロー映画(マーベルのアベンジャーズなども単なる勧善懲悪では描かれなくなっている)などにも存在するものであり、これが社会からの要望であり、それが映画における潮流となってきていると感じる。
しかしながら、アナ雪やズートピア作品内のメッセージと社会問題の関連性は、これらの作品を見た私達にただの娯楽作品以上の感想を抱かざるをえない。社会の問題を最高級の娯楽作品の中で言及された結果、私達は強いメッセージ性に感化され、現実社会と関連させて言及してしまう。実際そのようなツイートが多い様に感じるし、ここに私が懸念する点が存在したりする。

*ちなみに、上記においてアナ雪のジェンダー問題や、ズートピアなどの差別と言った問題に色々と述べていますが、これは私の感想というよりもむしろ、一般的にこういう風に受け取られるだろうという文脈で発言しています。

ポリティカル・コレクトネスについてとそれに対する私の懸念

そもそも、ポリティカル・コレクトネスとは何なのか?Wikipedia先生から引用すると

ポリティカル・コレクトネス(英: political correctness、略称:PC)とは、政治的・社会的に公正・公平・中立的で、なおかつ差別・偏見が含まれていない言葉や用語のことで、職業・性別・文化・人種・民族・宗教・ハンディキャップ・年齢・婚姻状況などに基づく差別・偏見を防ぐ目的の表現を指す。

つまりポリティカル・コレクトネスは、差別的な表現はなくしていこうという概念であり、政治的に正しいことを追求することとも言える。
ここで比較例として挙げられるのが、最近話題だった「ヘイトスピーチ
ヘイトスピーチは移民や外国人に対してよく行われる活動であり、憎悪や軽蔑の念を込めて彼らに発言することを指していると言える。これは基本的に意図的なものに限られ、例えば無意識に差別的な発言を行うこと(例えばゲイの方に対して自分を襲わないでねと発言することなど)、ある意味当然ながらヘイトスピーチに当たりない。
一方で、ポリティカル・コレクトネスは、こういった意図的でない発言に対しても「ポリティカル・コレクトネス的によくない」といった言及がなされる。実際、アナ雪やズートピアに絡められた発言の数々は、物語作品においてポリティカル・コレクトネスの概念が取りれられた事への称賛であり、意図的でない発言に対しても言及されるような空気を感じる。

そこに一種の危険性がないのだろうか?
ポリティカル・コレクトネスといった概念を用いることで、私達は人の行う発言や作品に対して「ポリティカル・コレクトネス的に正しくない」といった事や、ディズニーやピクサー映画を媒体にして社会問題をポリティカル・コレクトネス的に言及を行なってしまう。これは一種の空気感をつくり上げることになってしまうのではないのだろうか?もっと極端な話をすると、アナ雪を見た人がエルサの生き様に影響を受けて、逆説的に否定してしまうという皮肉に繋がることになるのでは?こういった空気感は私達の発言が制限されてしまうのに繋がってしまうのではないのだろうか?空気感による制限などは実際に戦前の日本に存在したものであり、空気の流れからの戦争突入した過去を考えると過度な意見潮流を作ることは危険なのではないのだろうか?
私はこのような事を考えずに入られなくなってしまう。

そもそも、ポリティカル・コレクトネスという概念もリベラル派の考えに基づいたものに過ぎず、それはポリティカル・コレクトネス的に正しいはリベラル派的に正しいというのと同義なのである。それが悪いと言いたいわけではない。

www.huffingtonpost.jp


こちらの記事で言及されているように、もし本当の「平等」、「一切の差別を捨て去る事」とは「モノ」と「ヒト」の間に存在する「違い」さえも捨て去ることである。それは仏教でいう「無の境地」であり、おそらく私達はそこまで実現したいわけではないんじゃないだろうか?(ちなみに平等などの言葉も仏教から生まれた言葉)
やはり「ポリティカル・コレクトネス」といった言葉も何かしらの軸(リベラル派が紡ぐ言説)を用意しなければ現実に即した言葉として使用することはできないのであろう。

ポリティカル・コレクトネス的に誤った作品は批判すべきなのか?

togetter.com

最近、ポリティカル・コレクトネスが物語作品の評価に大きく与えているような気がする。上記もこれの1つ。
「ゲート」という作品は、日本に突如現れたゲートが中世ヨーロッパ的なファンタジー異世界と繋がっており、そこで行われる自衛隊である主人公の冒険譚である。その物語において日本人である主人公が村が焼けて住民が全滅した現場から発見されたエルフを対等な存在として扱わない場面がありそれに対して批評が行われている。これはポリティカル・コレクトネスの概念から出てきた批判の1つだろう。
その他の日本のアニメ作品にはポリティカル・コレクトネス的な観点からの意見はが多く見受けられる。(特に、男性優位の萌えアニメなどに)
こういったポリティカル・コレクトネス的に不当な事から作品は批判されるべきなのだろうか?
私はこういった観点から物語を批判をするなとは決して言えない。作品に対する批判も肯定も自由なのだから。個人的な価値観に沿って考えた場合そういった表現などが、不快感を示す可能性は存在するだろう。しかしだからといって、「こういった表現は間違っている。作者にそういった表現をするべきだ」と要求するのは違うのではなかろうか。物語作品は作者の表現したいことを重視された結果生まれるものであり、その結果、私達が考えるポリティカル・コレクトネスが排除されたとしても、それも一種の作品であるに過ぎないだろう。
視点を変えれば多くのポリティカル・コレクトネス的に正しくない作品は見つかる。例えば、ワンピースも女性キャラの造形は男性性至上目線によるものともいえるし、少女マンガにおける男性キャラクターがほとんどイケメンな事などポリティカル・コレクトネスを気にすれば物語に対して多くの事を言えてしまう。他にも、艦これに対しては戦争の道具を萌え化することは不謹慎とも言えるし、ガルパンには女性を人殺しの道具に乗せて楽しむのはよくないとも言えてしまう。言おうと思えばポリティカル・コレクトネス的観点から間違っているなど何にでも言えてしまうのだ。
ぶっちゃけポリティカル・コレクトネスの「ポ」の文字もないようなレイプ作品や、女性を奴隷にした18禁作品もこの日本には溢れるほど存在するけど、それはそれで1つの表現の仕方であり、一部の読者を満足させているという観点からは意味はあるのではないだろうか?

*補足
あと、ビジネス的戦略においてもベイマックスの登場によってPC的メッセージを加えたアニメ作品ではアメリカには勝てないことがある意味証明された点もあるので、日本はそういった所で勝負するのではなく、宮﨑駿や新海誠神山健治のような作家性で勝負した方がいいのではないかなって思ったりするんですよ。

ポリティカル・コレクトネスは一種の指標である

結局、ポリティカル・コレクトネスは一種の指標に過ぎないものであり、絶対的な正しさを求めてはいけないものだろうと私は思う。ポリティカル・コレクトネスという観点を用いて作品を創作すること、物語を批評することどちら側においても、一種の足枷になってしまうのではと思わざるをえない。他者を配慮する余り自由な発言はできなくなってしまう。スチュワーデスが時代の変化と共にフライトアテンダントになってきたのもこういった運動の影響の1つであろう。こういった事は前も言ったが決して悪いことではなく、一種の道具、指標として使う限りは時代に会った変化を起こすものとなるのだろう。
また、ポリティカル・コレクトネス的に正しい、正しくないの間に存在する境界線も確定したものではなく、曖昧なものに過ぎない。
従来の文化や習慣までこういった観点を持ってきてもいいのか?どの程度持ってきてもいいのかは個人的なラインに依存せざるを得なく、一般的に見て行き過ぎた発言などもあり得る。(先程述べたように、アナ雪を見て女性に対して自由な生き方しか肯定しなくなるなど)
極端な例などを言えば、大峰山などの女人禁制の場所に対しての「それは、男尊女卑の象徴であり、は世界遺産にも登録された人類共有の財産であり、登山道は税金で整備された公道でもあるため女性禁止を解除すべき」という主張を、宗教的な修行な場に対して請求するというのはどうでしょうか?これはポリティカル・コレクトネス的に正しい主張だと思いますか?それとも、ポリティカル・コレクトネスの範囲を超えた主張でしょうか?


●まとめ

まあ、ポリティカル・コレクトネスは一種の指標として用いるの適切であり、それを他人に強要してしまった時点でダメなのではと思います。これを考えるキッカケはディズニー、ピクサー映画に対する感想だったのですが、少し離れてしまいましたね。
やっぱり、ディズニー、ピクサー映画の文脈に結びつけてポリティカル・コレクトネスを語ること、つまりは自分の主張をディズニー、ピクサーといった虎の威を借りることで、根拠を強めるのはとても簡単なこと、楽なことかもしれないけど、それが一種の空気感(他所の意見を受け付けない空気感)になってしまってはいけないよねということを言いたかったんです。アナ雪の例と同様に、こういった空気感が強まると、多様性を重視することがこめられたズートピアを見て、ズートピアに影響を受けて、自分の考え方しか認めないといった意見が発信されてしまうという皮肉な事が起こってしまう。現在私達が使用して、正しいと信じているポリティカル・コレクトネスの文脈も結局は時代の潮流であり、リベラル派を軸にしたものに過ぎない、絶対的なものではない。
本当は、ズートピアの感想とか、なんでディズニーやピクサー作品にはリベラル的メッセージを含んだものが多いのかっていう予想も書きたかったんですか、幅が広がりそうだったので笑
なんだか思考がループしてしまいそうなのでここらへんで。

ディズニーの脚本の素晴らしさと、ポリティカル・コレクトネス的意見に対する問題提起の記事でした。

ポリティカル・コレクトネスとは編集

米国特許取得方法について調べることがあったのでまとめてみた

タイトルどおりです。色々あって米国特許取得方法について調べることがあったので簡単に方法をまとめてみました。多分合ってると思いますが、これを鵜呑みにして損害があっとしても、責任を負いません。自己責任でお願いします。
ちゃんと専門家に相談してくださいね。


米国特許には主に3つの種類Design Patent(デザイン特許), Utility Patent(通常の特許), Plant Patent(植物特許)が存在します。基本的なの、一般的に特許法と呼ばれるものはUtility Patentですね。意匠、著作、商標登録などに関してはまた別の情報を確認してください。

現在、日本から米国の特許出願を行う方法には主に以下の種類が存在します。
・パリ条約
・PCT(特許協力条約)
・PPH(特許審査ハイウェイ)
・各国出願
パリ条約、PCT、PPHでの申請には日本特許申請が最初に必要ですが、各国出願では日本の特許申請の必要がなく直接米国での特許申請が可能です。また日本から米国での特許申請を行う場合、どの特許出願方法においても米国の国内に住所等を有する米国代理人を選定する必要です。



●パリ条約に基づく国際出願

・概要

パリ条約は各国の工業所有権の国際的保護を目的として1883年の締結された条約であり、現在175カ国が加盟中です。パリ条約には、内外人平等の原則、優先権、各国特許の独立の3つの原則が定められており、その中で特許出願において重要となってくるのは優先権です。
この優先権は、例えば「第1国に出願した後,12ヵ月以内に第2国に出願すれば,第2国の出願は第1国に出願した場合と比較して不利益を受けることがない」といったもので、この優先権を用いることで翻訳などの手続きの準備や外国出願するか否かの検討が可能となっております。パリ条約に基づいた国際出願は,出願先国の指定言語に翻訳しなければなりませんが,直接出願と比べて12ヵ月の時間的余裕を確保できるというメリットがあります。優先権を用いてメリットを確保できるという点以外は、基本的に各国出願と同じ形をとることになります。


f:id:hkefka385:20150914181155p:plain

・取得手続き
パリ条約の優先権を用いる他は各国出願と同じ手続きとなります。手続き方法は各国出願で記載します。

・料金
上記と同様、パリ条約の優先権を用いる他は各国出願と同じ料金となります。料金も同様に各国出願の方で記載します。

・その他
優先権の主張期間(12ヶ月)のあとでも、2か月以内の出願においては外国出願に基づく優先権の回復を認められます。料金は1700ドル、中小企業については850ドルの料金が必要となってきます。<参考資料>
パリ条約 | 経済産業省 特許庁




●PCT(特許協力条約)に基づく国際出願

・概要
特許協力条約(以下PCT)は1970年に締結された特許に関する条約であり、現在145カ国加盟しています。PCTは煩雑な短期間に特許出願の手続を踏む作業を大幅にカットできる制度で、日本で特許の申請を行うときに同じく特許庁に対し特許の国際出願をすることによって、他の複数の条約締結国(145カ国)に対して、発明の保護を求めることを可能とする制度です。この制度はパリ条約の優先権と併用して用いることが出来るため、国内出願を行なってから12ヶ月以内までPCT出願が可能です。PCT出願後から国内移行手続きの期日は30ヶ月以内で、出願してから国内移行手続きをするまでの30ヶ月の期間を国際段階といい、各国へ移行した後を国内段階といいます。この国際段階中に出願人は特許庁の先行技術調査の結果である国際調査報告を受けて特許の可能性の検討を行い、その検討結果に応じて請求の範囲補正を行うことができます。さらに、出願人は国際予備審査を行うことが出来、特許庁の審査官による特許性の判断を受けることもできます。なお、国際予備審査の結果は、各指定国での審査を拘束するものではないが、出願人及び各指定国の審査官にとって、有用で影響力のある判断材料になります。国内移行手続きで出願人は各国で定められた明細書等の全文の翻訳文や料金の提出によって申請でき、出願人は効率的に特許を取得できます。
この条約は国際出願によって複数の国に特許を出願したのと同様の効果を提供しますが、複数の国での特許権を一律に取得することを可能にするものではありません。特許権の取得審査は各国ごとに行わなければならいないのです。つまり、各国の特許権を獲得するためにはただPCT申請をするだけでは足りず、出願人の積極的なアクションそして各国の審査基準を通過し手続きを行う必要があります。
PCT出願の最も大きなメリットとして、国際出願日を一つの出願で確保できるという点が挙げられる(優先権のメリット)一方、デメリットとして複数の国に出願しなければその費用対効果が小さいことがあります。


f:id:hkefka385:20150914181950p:plain


・取得手続き

PCT出願には主に2つの出願方法があります。

➢書面による出願
国際出願様式の書面に記載した願書・明細書等を特許庁国際出願課受理官庁受付窓口、郵送又はFAXで提出します。願書の様式はこちらの形になります。

➢インターネット回線を利用した電子出願
電子出願には特許庁が提供する「インターネット出願ソフト」もしくはWIPOが提供する「PCT-SAFEソフトウェア」を使った出願方法があります。
インターネット出願ソフト独立行政法人工業所有権情報・研修館(INPIT)が提供するソフトウェアで、日本語の願書のみ作成可能です。
一方、PCT-SAFEソフトウェアWIPO国際事務局が提供するソフトウェアで、日本語、英語のいずれの言語でも願書を作成することができます。

電子出願を利用した場合、料金が通常よりも安く手続きを行うことができるようになります。
国際調査は、国際特許出願を行うと日本語国際出願の場合、日本特許庁が国際調査機関となり自動に行われます。国際調査によって出願者は国際調査報告及び見解書が与えられ、修正や国際出願の参考にすることが出来ます。
国際予備審査は、出願者の任意で行うことができ、国際予備審査機関は、特許性に関する国際予備報告が作成されます。国際予備審査請求の様式はこちらの形になります。


・料金
各国の出願手続きにおける料金は各国の特許法によって異なります。弁理士手数料や各国の出願手続き料金を含めない場合の料金は最低でも20万以上になると考えられ、国際調査などでさらに料金がかかることになると思います。
詳細

f:id:hkefka385:20150914185449p:plain


参考資料
PCT – The International Patent System
PCT国際出願制度の概要 | 経済産業省 特許庁
PCT国際出願関係手続Q&A | 経済産業省 特許庁




●PPH(特許審査ハイウェイ)制度に基づく国際出願

・概要
PPH (特許審査ハイウェイ)は特許庁の審査負担の軽減、海外の複数の国で特許の早期権利化を目的とした世界の各特許庁間での制度の一つです。日本は中国、韓国、イギリス、ドイツといった様々な国々と結んでおりアメリカもそのうちの一つに入っています。この制度は日本特許庁で特許を取得可能と判断された発明に関して、PPH加盟国の特許庁において特許取得の早期審査を受けることが出来るものです。PPH審査を行うことで、審査期間の短縮、審査におけるアクション回数の削減、現地代理人費用の削減、特許査定率の向上といった効果を期待できます。
実際、米国における特許取得の平均期間は18ヶ月ですが、PPH申請による出願を行うことで、平均4,4ヶ月までに削減を行うことが出来、特許査定率も平均53%から87.9%までに上昇するといった効果があります。またこのPPH審査は前項のPCT(特許協力条約)に基づく国際出願と組み合わせて使用することができ、国際調査機関が作成した見解書や国際予備審査報告を利用して各国出願を行うことが出来ます。



f:id:hkefka385:20150914185413p:plain


・取得手続き
PPHの申請には、各国の特許庁が発行を行う申請書、対応する米国出願に対して米国審査官から出された全てのオフィスアクションの写し、対応する米国出願の特許可能と明示された請求項を含む特許請求の範囲の写しといった書類の提出が必要となります。もし何か不備があれば米国特許庁から拒絶理由が通知される「オフィスアクション」が行われます。拒絶理由通知がなければ、特許の登録が行われます。

こちらが米国特許庁によって発行が行われている申請書です。

・料金
PPH申請手数料は各国特許庁によって異なりますが、大半は無料です。



●米国特許庁への直接出願

・概要
米国特許庁は通称UPSTO(United States Patent and Trademark Office)と呼ばれ、商務省に属する機関のひとつです。通常UPSTOに申請を行い特許の取得をおこないます。

・取得手続き
米国での特許出願では本出願と仮出願の2つの方法があります。基本的に特許取得において本出願は必ず行わなければなりませんが、初期費用を今持ち合わせていない、優先権を真っ先に確保したいといった場合に用いられます。仮出願は260ドル支払えば行うことができ、審査されずに優先権の確保を行うことが出来ます。仮出願後12ヶ月以内に本出願を提出しない場合放棄されます。本出願は、郵送などの紙媒体での申請もしくは、EFS-Webを用いたオンラインの申請の2通りあり、紙媒体での申請では通常の申請料金に加え、400ドル必要となります。出願には出願送付票(Utility application transmittal form)、料金送付票 (Fee transmittal form)、出願データシート(Application data sheet)、明細書(Specification)、図面(Drawings)、宣誓書または宣言書(Executed oath or declaration)、委任状(Power of attorney to prosecute applications)といったものが必要に応じて提出しなければならないです。
書類提出後、米国特許庁による審査を受けることになります。支払い料金やプランによっては出願後12か月以内に審査が終わり、特許査定か拒絶の最終処分が行われる早期審査(Accelerated Examination)のように審査経過禁反言のリスクがあるような書類(PESDとAESD)の提出が不要であり、優先審査を申請してもそれ自体には何ら審査経過禁反言の心配がない優先審査(prioritized examination)などが存在します。
審査の過程において、もし審査官が特許できないと考えたときには拒絶通知(オフィスアクション)を通知します。このオフィスアクションに応じて補正などを応答期間内に行う必要があります。また、オフィスアクションを受けた際に審査官とのインタビューの機会を設けることもできます。米国特許庁の審査が通った場合に特許の取得となります。
ちなみに米国特許期間は20年です。

UPSTO Forms For Patent Applications Filed On Or After September 16, 2012
http://www.uspto.gov/patent/forms/forms-patent-applications-filed-or-after-september-16-2012


図 米国特許庁における特許取得のチャート
f:id:hkefka385:20150914191456p:plain
引用:
Process for Obtaining a Utility Patent | USPTO


・料金
特許取得にかかる料金ですが、フレームの数や特許書類枚数、企業の大きさによって料金が変動するため一概には言えないです。おそらく、弁理士手数料などを入れずに少なくとも2000ドル以上は必要になると考えられます。また、特許の維持のために特許取得時から3.5年、7.5年、11.5年ごとに維持料金としてそれぞれ1600ドル、3600ドル、7400ドル必要となります。(年金、中小企業、個人等の場合は半額となります。) 詳しくは料金体系のページをご覧ください。


参考資料
United States Patent and Trademark Office
米国合衆国特許法