JavaScript基礎構文メモ
// Data オブジェクトを使用する場合
var start = new Date();
// 時間を計りたいイベントをここに置く:
doSomethingForALongTime();
var end = new Date();
var elapsed = end.getTime() - start.getTime(); // 時間をミリ秒で表す
// 静的メソッドを使用
var start = Date.now();
// 時間を計りたいイベントをここに置く:
doSomethingForALongTime();
var end = Date.now();
var elapsed = end - start; // 時間をミリ秒で表す
人目を気にしないこと
ブログを続けていくことは難しい。
それはおそらく人の目を気にしてしまうから。
うまい文章を書こう。面白い記事を書こう。アクセス数を増やそう…
そんな強迫観念的な気持ちではブログを長く続けることはできない。
そうなった瞬間、ブログは趣味から課題になる。
おそらく多くの人がブログを続けることが出来ない理由はそこなのであろう。
そうだ。ブログは私のためのものだ。他の誰の物でもない、他ならぬ私のためのもの。そう思っただけでブログというものは親しいものに思えてくる。
もしブログを続けたければ人目を気にしなければ良い。
そう、これは自分のための日記。
英語力とは? ー留学3ヶ月目ー
お久しぶりです、モクソンです。留学3ヶ月目です。
今、私は一年間の予定でアメリカのワシントン州に留学へ行ってます。元々、英語嫌い飛行機嫌いの私なので、当然のことながら他の日本人以上にアメリカの生活の慣れること、英語を使うことに苦戦していると思います。
今回話したいのは、留学で英語力はどれくらい伸びるのか?(3ヶ月目時点で)
私の一人の体験を元にして書かしてもらいますので世間一般の考えとズレがあるかも知れないですがご了承ください。
はっきり言って、思ってた以上には英語力伸びないです。
私の想像では留学へ行くとめちゃくちゃ英語力が伸びて3ヶ月後には完璧では無いにしろ、かなり聞き取れているんだろうなって思ってました。だけど、ネイティブの会話は未だにほとんど聞き取れないです。
分野ごとの現状、勉強法を話していきたいと思います。
・リーディング
これは少しは伸びてるんじゃないかなって思います。というのも、留学行きながらも単語などの暗記は行っているからです。リーディングに関しては、ある程度の文法力があるならば単語力をどんどん上げていけば次第にリーディング力は上がっていくと思います。ですが、英語の本などを読んでいけばわかることですが、慣れはとても大事です。やはり文章多く読んで英語の文語体に慣れながら、知っている単語を増やしていくことがリーディングを伸ばす近道だと思います。といってもいきなり洋書は難しいと思いますので読みやすい本例えば既に和訳を読んでいて内容を知っている本(例えば村上春樹の小説など)がオススメですね。
Amazon.co.jp: Norwegian Wood: Haruki Murakami: 洋書
・スピーキング
この能力が一番伸びる力だと思います。やはり外国人と接していると否応なく喋ることになります。また日本人と違い外国人の性格上知らない人とも気軽にしゃべります。留学という特性を活かして喋る能力を身につけたいなら、やはり座学よりも色んな人と喋ることです。私は海外にはこういったサービス(好きなコミュニティーを見つけて気軽に坂できるサービスMeetup)が多くあるのでこういったものを利用して興味ある団体に参加したりしています。(英語を練習しようといったグループがあって本当にオススメです。)
・リスニング
全く伸びない…。
留学して一ヶ月目ぐらいには少し伸びたかなっていう実感はあったのですが、そこから伸びたなっていう実感は全く感じません。リスニングよりもスピーキングのほうが伸びるのは順番が逆な気もしますが現実はそうなのです。つまりは普通に過ごしているだけではリスニングは伸びない。簡単なことではない。これからはこちらのサイトを参考にして瞬間英作文をやっていこうと思います。
瞬間英作文 効果的なやり方とトレーニング快適化6つのコツ | TOEIC 900点&英会話上達をめざす英語勉強法・参考書まとめブログ|Enjoy Life in English!
英語力は全体的に伸びはしましたが、全く満足するレベルには達していないという状況です。
ただ、留学という行為は違った価値観を持った多くの人に出会えるという意味ではかなりいいものだと思います。
私が留学する理由
久々の更新です。
東京のホテルの一室で久々にブログの存在を思い出したので書いています。
突然ですが、明日から一年間アメリカのシアトルへ留学へ行きます。
私は英語が大嫌いですし、ほんの半年前までは旅行であっても日本から出ることを全く考えてなかった人間です。
それなのに、なぜ突然留学へ行こうと決めたのか。
結論からいうと、「日本を信頼できなくなったから」です。
キッカケとなったのは就職活動。
就職活動するまでの私が見ている世界は大学の友達、その周辺に限られていました。
しかし大学3回生になり就職を意識して様々な活動をしていくうちに私の目を向ける世界が否応なしに広がっていきました。
おそらくこの時に気づいたんだとおもいます。
「今までは安全面、経済面様々な部分を考慮した結果、日本が一番だったかもしれなかったが、今後私が社会人になって10年20年経つ頃には日本が良いとは必ずしもい言えないであろう。これからは日本よりも豊かで未来がある国はどんどん増えていくであろう。」
こういった考えから、今まで日本にしか向けていなかったら目を世界に移さなければならないと思いました。
そして一つの結論として、最も手っ取り早く世界を意識できるようになり、今までの価値観を変えるためには、大学生活に大きな支障をきたさない一年ほど海外へ住むのが一番だとなりました。
別にこれからは海外にしか目を向けないというつもりは全くないです、ただ自分の中の選択肢の一つとして日本だけでなく海外も含めたいということです。たとえ今後日本の会社がダメになったとしても、海外で生活できるとっかかりが欲しいのです。
正直言うと海外を経験できるのなら留学という手段でなくても一年間のワーキングホリデーでもインターンでも何でもよかったのです。とりあえず、まだ大学生という時間のあるうちに一年以上の海外への移住そして色んな人に会っておきたかったわけで、留学という手段を選んだのは、たまたまご縁があり奨学金をいただくことになりほとんどお金を掛けずに留学できる機会を頂いたからです。
海外を意識してから留学が決定するまで約一ヶ月。
おそらく他の留学生にはいない早さかもしれないです。
この留学におけるメリットも多くありますが、デメリットも少なからずあります。でも、そんなデメリットが全く気にならなくなるほど得るものが大きい留学にしたいです。
また暇があればブログは更新します。
「好き」と「得意」
(ただの脳内垂れ流し、戻るを推奨)
好きと得意は違う。
それはみんな納得してもらえるだろう。
例えば私は本を読んだりするのが好きだし、文章を書くこともそこそこ好きである。
だがそのことが得意か?と聞かれたら肯定することはできない。
本を読んだからといって頭に内容が入っているわけでもないし、読むスピードも人よりも遅い。文章を書くことに関しては人よりも多く書いている自覚はあるものの時々内容が伝わりにくいものであったりする。
また私は単純な作業は得意だ。人よりもミスを少なく作業を終わらせれる自身はある。だからといってそういったことを仕事にしたいとは考えたいし、ずっと続けていきたいとは思わない。
好きと得意は違う。
何が言いたいかというと、好きと得意を同じにすることはできないのであろうかということだ。
好きと得意が同じになるということはそれは幸せなことであろう。
でも好きを得意に変えるのは簡単なことだ。好きなことを得意にするために練習、訓練をすればいい。
でもそのことで好きなことが嫌いになってしまわないであろうか。
そんな自己矛盾。
なぜ私達は人を「カテゴライズ」したがるのか?
(以前書かしてもらったコラムの転載です。)
先日テレビを見てたら国ごとの性格、いわゆる国民性を紹介する番組がやっていた。
この番組を見ててふと思ったのは、昔から(まだ20年しか生きてないのだが)人を「カテゴライズ」する番組が多いということである。
最近で言うと某テレビ局による「秘密のケンミンSHOW」という番組が代表的なのではないか?この番組では日本人を住んでいる都道府県に「カテゴライズ」されて性格・特徴などを紹介する。
他にも数年前に流行った血液型診断がある。血液型診断は日本人を血液型の4つに大きく「カテゴライズ」して性格が判断される。これの面白いところは血液型は世界の人、誰しも持っているものなのに日本以外の国では全く信じられてないところだ。海外での血液型は偏りが大きいという理由もあるが、偏りがあまりないアメリカの人々も血液型診断を信じている日本人に「ロボットを作ったりする日本人が血液型診断を*科学的根拠がないのに信じているなんて考えられない(あなた達も新約聖書を信じているじゃないか!っていうツッコミはなしで)」や「血液型診断で人の性格を判断するのは差別ではないか」などと否定的な声が大きい。
テレビ番組だけではない日本人は人を腐女子やオタク、○○系ガールなどと人々を特定の枠に「カテゴライズ」したがる。腐女子などのあまり良い意味を持たない言葉で呼ばれる人は怒ると思いきやそれを甘んじて受け入れる。
やはり日本人は人を「カテゴライズ」したがるみたいだ。
ではこの「カテゴライズ」という行為は世界各国に人も好んでよく行うのであろうか?
実際調べてみるとそんなことはない。世界各国のテレビ番組にも少なからずそういう番組もあるらしいが日本ほど多く無い。
やはりこの「カテゴライズ」は日本人独特の行為らしい。
なぜだろうか?
この理由はとても単純のものだと私は思う。
ただ「不安」なのだ。相手のことを全く理解できないことに「不安」を感じるのである。
全く知らない人と出会ったら誰であろうと不安である。相手がどのような人物があるのかわからない。だけど血液型や出身地、趣味などを知れたら相手のことを「カテゴライズ」でき理解できた気になれる(それが合っていようとなかろうと)。あいてがどういう「カテゴライズ」された人物かが理解できれば「不安」の大きさも全く違うだろう。
これが顕著に現れてるのは「ChatPad|1クリックで始まる!見知らぬ誰かとのチャットサービス」というサイトであろう。このサイトでは知らない誰かと完全匿名でチャットを楽しめる。しかしこのサイトを使う時いきなり本題に入ったりしない。大抵の人(私も含め)はまず年齢、男女、出身地、趣味などを聞いたりする。
やはりそういった事を知らずに話し始めるのは不安なのである。
でもこれだけでは海外の人があまり「カテゴライズ」しない理由にはならない。
この理由は江戸時代の日本人の生活から来ているのだと思う。
江戸時代の日本人の家族以外の他人との知り合う方法は近所の人と、親や上司(丁稚にとっての番頭など)による紹介がほとんどと言われてる。今のように引越しを多くしない江戸時代の人は近所の人は昔から付き合っていた人で、親しくない人はほとんどいない。また、紹介によって会う人も前もっての情報があるから全く知らずに合う人はほとんどいないわけである。だから知らない人と「不安」を持って会うことはほとんど無かったといってもいい。
しかし、日本は戦争に負けて突然近代化したために全く知らない人と会うことも多くなったがそんな急に慣れるわけではない。やはり「不安」をもって人と会うこととなってしまう。だから初めに様々な人のカテゴリーを知って、会った人を「カテゴライズ」することで自分の「不安」を抑えているのではなかろうか。
これを読んでもらったわかるが「カテゴライズ」することは日本人の治しようのない特性なのである。だからこそこの特性を受け入れ理解し、自分の中で「カテゴライズ」し「不安」を無くすことに加え、今接している人は「カテゴライズ」に当てはまらない所も必ずある人なのだという事を認識して、人と接すると相手の意外な魅力に気づくのかもしれません。
*ほとんどの科学者は血液型診断は全くの根拠がないものであると断言してる。